DIBヒストリー 2021年までのDIBの軌跡2021年までのDIBの軌跡

あゆみ前史

創業者「多田太三郎」と
第一計器製作所の設立

多田太三郎は、明治13(1880)年、現在の富山県高岡市木津に生まれ、11歳の時、医薬品の卸販売をしていた岩城商店に奉公に出る。25歳で独立。薬種業「多田商店」を開業した。
明治37(1904)年、日露戦争が始まる。世界では人造染料(合成染料)の工業化が進み、日本に輸入されるようになっていた。太三郎も人造染料に着目し、「多田商店」の取扱い品目を人造染料や工業薬品へ移行していく。

創業者 多田 太三郎

昭和12(1937)年、店名を「多田太三郎商店」に改称。この年、日中戦争が始まる。
昭和16(1941)年、太平洋戦争勃発。太三郎の息子たちも出征していき、やがて終戦。昭和24(1949)年、多田商店は、「多田薬品工業株式会社」となる。
また、昭和26(1951)年、太三郎は、戦時下の企業整備令で設立された「富山県計器工業株式会社」の解散を受けて、その債権債務一切を継承し、「第一計器製作所」を設立した。

第一計器製作所 社屋(高岡市本町)

創業期

1951〜1959年〈昭和26〜34年〉

第一計器製作所法人化
多田由雄が初代社長に就任

多田太三郎は、第一計器製作所の本社を高岡市本町に置き、四男である由雄(よしお)を支配人とした。
昭和26(1951)年に、計量法が公布され、「メートル法」へ移行する。これにより、メートル法に対応した計測器・計量器の需要が期待され、第一計器製作所にとっては好機であった。
昭和27(1952)年、本社にトラックスケールを据え付け、富山県登録第1号の「計量証明事業所」となる。

株式会社第一計器製作所
初代社長 多田由雄(写真は昭和27年撮影のもの)

昭和30(1955)年、株式会社第一計器製作所として法人に改組し、初代代表取締役社長に、多田由雄が就任。
この創業期の10年間、第一計器製作所は、機械式はかりの製造技術やメンテナンス体制を確立し、工業用計量器において北陸一の顧客ネットワークを構築した。

20トン トラックスケールでの計量。
(右手前でカメラを見ている人物が多田由雄)

株式会社第一物産と
第一計器製作所の社屋(昭和38年頃)

第一成長期

1960〜1974年〈昭和35〜49年〉

(株)第一物産と(株)第一計器製作所が
合併、「第一物産(株)」へ

昭和35(1960)年、多田由雄は、「株式会社第一物産」を設立。化学工業薬品を取り扱う商社である。
高岡の伝統産業である高岡銅器の着色所などに工業薬品を納め、また、アルミ産業とも取り引きが始まる。食品関係やクリーニング店などにも納品した。

昭和40(1965)年代はじめ、公害が社会問題となり、排水や排煙などの公害防止設備に取り組むことになる。また、メッキをするための薬品のみを納めていたメッキ工場に、廃棄処理するための薬品の拡販も始まった。

宮田町に移った第一物産の社屋

新築した本社事務所

この頃、新しい薬品が次々に開発されており、パーカー処理製品もそのひとつだった。将来性があると判断した由雄は、代理店契約を結び、新たに県内、石川県への進出を果たすことになる。
昭和47(1972)年、(株)第一物産と(株)第一計器製作所が合併し、現在の第一物産株式会社となる。
同年、宮田町に50トンの大型トレーラーも測定できるトラックスケール(3m×15m)を新設。
昭和49(1974)年には、宮田町にて建設を進めていた新社屋が竣工。近未来的なデザインは、時代の先端を行く企業にふさわしいものであった。

環境計量風景

第二成長期

1975〜1995年〈昭和50〜平成7年〉

多田慎一社長就任
新しい事業分野へ挑戦

昭和50(1975)年、多田由雄は59歳で他界。子の慎一が、次の代表取締役社長に就任する。31歳だった。
慎一は、昭和49(1974)年、自ら「環境計量士」の資格を取り、環境計量証明事業(濃度)として「富山県知事登録」の第一号を取得。
この頃、全自動表面処理装置、スチール・アルミ塗装装置など大型プラント設備や消耗品の納入も増加していた。 昭和58(1983)年、計器部門を強化した計器機械工場を新築。また、昭和63(1988)年には、事務所横に新館を増築した。
平成3(1991)年、第一物産は創業40周年を迎え、創業40周年記念式典を挙行し、感謝の集いを催した。

第2代 代表取締役社長に就任した
多田慎一

新築した本社事務所(左が新館)

この頃、オゾン層破壊など環境に対する関心が高まり、平成9(1997)年、「京都議定書」の採択により、温室効果ガスの排出削減目標が定められた。
大手メーカー等へ納入していた洗浄剤が全廃対象となり、第一物産では、メーカーの協力も得て新しい製造工程、新しい洗浄方法を確立した。

昭和44(1969)年より取引を開始していた村田製作所グループから、精密機械部品の加工を第一物産で行ってほしいとの要請があった。
新規の分野であり、リスクの高い要請だったが、第一物産は、精密機械部品加工分野への進出を決意する。
3階建ての精密機械加工の工場を建設し、NC-フライス盤などの設備を導入。平成4(1992)年4月、精密機械加工部が発足する。精密機械加工工場は、その後も設備投資を重ね、1000分の1ミリの加工も可能にしている。

富山工場

混迷期

1996〜2009年〈平成8〜平成21年〉

バブル崩壊後からリーマンショックへ
厳しい時代を進む

悪化する経済状況のなか、第一物産は、平成8(1996)年に、過去最高売上を計上した。
新事業である精密機械加工部が順調に売上を伸ばしたことが要因であり、平成12(2000)年、富山市大島に「精密機械加工部 富山工場」を開設する。
社会の高齢化により、介護分野の市場増大が予想された。第一物産は、製紙メーカーから介護用紙製品の取扱いを提案され、これを機に、平成12(2000)年、介護事業へ進出する。

平成16(2004)年、京橋一晴が取締役社長に就任する。京橋は、化学系の学部を卒業した技術者であった。
平成17(2005)年、第一物産は、国際標準化機構による品質マネジメントシステム「ISO9001」と、環境マネジメントシステム「ISO14001」を取得した。

平成21(2009)年4月29日、多田慎一が、計量器製造業への貢献に対して、黄綬褒章を受章した。

第3代社長 京橋一晴

JCSS校正室

混迷期

2010〜2020年〈平成22〜令和2年〉

多田勢津子が社長就任
商社とエンジニアリングの融合へ

平成22(2010)年10月、多田勢津子が代表取締役社長に就任した。リーマンショック後の大不況のなかで、医薬品製造関連は好調に推移しており、第一物産では、3事業部とも地元医薬品製造関連企業への拡販を開始する。

第4代 代表取締役社長
多田勢津子

平成29(2017)年には、日本の校正事業者登録制度である「JCSS」に申請・認定された。
この制度は、国際基準であるISO17025を認定基準に定めて、校正の技術を審査し、登録するもので、その証明書は国際的に信頼されるものとなる。

また、3つ事業を基本にした事業部制組織から、営業部、製造部を基本とする職能別の組織へと改編した。さらに、資材管理部、品質保証部、設計課を新設している。
各事業部には、それぞれの知識やノウハウがあり、それを他の事業部に活かし、ものづくりをもっと充実させる体制をつくることが目的である。

令和3(2021)年、第一物産は、創業70周年を迎えた。